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「10年後はないかもしれない」大友良英、60代半ばで到達したギター&ターンテーブルの自在境 -前編-  (1/3)
インタビュー:細田成嗣 (2023.12.26 TOKION 掲載)

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35年以上にわたって唯一無二のキャリアを築いてきた音楽家・大友良英インタヴュー前編。ギタリストとしての活動を中心に話を訊く。

80年代後半からライヴ活動を本格化させ、35年以上にわたって唯一無二のキャリアを築いてきた音楽家・大友良英。インディペンデントなノイズ/インプロヴィゼーションのシーンにおける活躍から数多くの映画音楽やテレビドラマの劇伴、あるいは市民参加型のプロジェクトを手掛け、さらにインスタレーションの制作や芸術祭のディレクターを務めるなど、これまで多方面で膨大な数の仕事に取り組んできたことからは意外にも初となる、ギタリスト兼ターンテーブル奏者として録音した全編即興のスタジオ盤『Solo Works 1 Guitar and Turntable』が2023年8月に世に放たれた。

ギタリストとしてもターンテーブル奏者としても大友良英ほどオリジナルなプレイを聴かせるミュージシャンはそういないだろう。全20トラックの小品を収録した『Solo Works 1』は、そのような彼の現在地を克明に記録したアルバムに仕上がっている。そこで今回、大友のプレイヤーとしての側面にフォーカスしたインタビューを実施し、前編ではギタリストとしての活動を中心に話を伺った。かつてギター演奏を「封印」していた時期もある彼は、なぜ再びギタリストとして活動を開始し、そしてどのように独自のスタイルを確立するに至ったのか——。

 

再びギターを弾き始めた理由

——大友さんが最初にギターを手にしたのは中学時代ですが、その後、20代で高柳昌行さんの門を叩き、あるいはノイズしか出ないギターを自作するなど、ギターとの付き合い方はさまざまに変遷してきたと思います。大友さんとしては、ご自身のギタリストとしてのキャリアはどのように捉えていますか?

大友良英(以下、大友):高柳さんのもとにいた1980~86年頃は、まだ本格的に世に出てないですし、演奏家としては修行中の身でした。飛び出した後は挫折した以上、もうギタリストとしてはやってけないって覚悟でいました。それで1980年代終わり~90年代はターンテーブルを使おうと決めてたかな。ただ、やっぱりギターの要素は残したかったので、あえて自作したギターも使ってました。チューニングもできないようにしたノイズ発生装置としてギターを使うことで「ギタリストではない」ってアリバイを作りたかったのもある。

それが転換したのは2000年頃からです。菊地成孔や芳垣安洋が「大友、お前ギター弾け」と散々言ってたのもあるけど、やっぱり率直にギターを弾きたいという思いが強かった。ずっと我慢してきたからね。誰かみたいに弾こうと思わなければいいやって感じで弾き出したのが1990年代終わり~2000年代頭くらい。だからギタリストとしての自分のキャリアはそれからだと思ってます。

——ギターを使うにしても、例えばキース・ロウみたいにテーブルトップにして、それこそノイズ発生装置を貫くというやり方もあったと思いますが、そこであえていわゆる通常のギター演奏に向かったのは、なぜでしたか?

大友:ノイズ発生装置は別にギターじゃなくても十分にできたからかな。ターンテーブルでもできるし、当時いろんな自作のガジェットも使っていたので。やっぱりチューニングされたスタンダードなギターを演奏したいという気持ちが強かった。もともと高柳さんの教室に入ったのもいわゆるギタリストとして活動したいと思っていたからなわけで、教室を飛び出した後、高柳さんとの関係にある程度とらわれなくなりつつあった時期に、ノイズ発生装置ではない形でギターを弾こうと改めて思ったんです。

——その頃、どんなギタリストを聴いていましたか? 特に印象に残っているアルバム等はありますか?

大友:ギタリストのアルバムを聴き込んで研究したのは、やっぱり高柳さんのところにいた時期。とにかくいろんなものをたくさん聴いてました。もう1回ギターを弾き始めた時は、いちから練習し直さなきゃいけなかったから、結構オーソドックスなアルバムを聴き返していました。ジム・ホールとかね。もちろん、オーソドックスなギターを演奏したかったわけではないので、ジム・ホールのスタイルを取り入れようとしたわけではなくて、ハーモニーの付け方を少し参考にしたぐらい。あくまでも自分独自のやり方で弾けるようになればいいとは思ってました。


2005年のソロ作『Guitar Solo』について

——ギタリストという意味では、やはり2005年のソロ作『Guitar Solo』が1つの節目になるアルバムだったと思います。doubtmusicのレーベル第1弾でもありましたが、大友さんとしては当時、録音作品としてギター・アルバムをどのように作りたいというモチベーションがあったのでしょうか?

大友:1つはやっぱり、昔からの知り合いの沼田順がディスクユニオンを辞めてレーベルを作るというから、餞に音源をプレゼントしたいという思いがありました。あまりお金をかけるわけにもいかなくて、だからスタジオに入らず新宿ピットインのライヴでレコーディングをして(註:録音は2004年10月12日)。プレゼントする以上、他にも参加ミュージシャンがいるとややこしくなるので、ソロにしようと。で、ちょうどその少し前からソロ・ライヴをやっていたし、映画音楽でもギターを弾いていた——実は90年代も映画音楽ではギターをちょこちょこ弾いてたんです——ので、そろそろギターのソロ・アルバムを作りたいと思っていた。ただ、普通のギタリストのような技術があるわけではないから、できる範囲で自分なりのソロ・ギターをやろうという挑戦ではあったかもしれない。

——2002年にデレク・ベイリーがジョン・ゾーンのTzadikレーベルから『Ballads』というソロ・アルバムを出したじゃないですか。内容は大きく異なりますが、それと大友さんの『Guitar Solo』が重なって見えるんです。つまり、どちらも完全即興ではなくあくまでも楽曲を取り上げていて、けれどいわゆる楽曲通りに演奏しているわけでもなくて。もともとインプロヴィゼーションやノイズに取り組んできたミュージシャンがあえて楽曲の演奏に挑んだ結果生まれた奇妙なアルバムになっていると言いますか。

大友:確かに、『Ballads』が出た時はすごく衝撃を受けて、「このやり方もアリなんだ」と思ったのは事実です。何回も聴いたなあ。もちろん、この世界で音楽をやろうと思った時からデレク・ベイリーはずっと大好きだったけど、そのベイリーが『Ballads』を出したのは、実は僕にとって大きかったのかもしれない。例えば『Ballads』は冒頭に「Laura」が収録されているけど、ジャズであれば、「Laura」のコード進行と小節をキープしながら展開していくじゃない? でもデレク・ベイリーの演奏を聴くとそうではないんですよね。テーマから始まるけど、その後は好きなところに行って、また「Laura」に戻ってくる。でもそれで全然成り立っている。それはすごく自由でいいなと思った。

ただ、そのやり方そのものはニュー・ジャズ・クインテットですでに試していたんです。最初にテーマがあって、でもテーマと全く違うアドリブを展開させたり、全然違うところに行ったりしてから最後にテーマに戻るという。それまでのジャズのフォーマットではないやり方は試していて、けれどソロ・ギターでそれをやってもいいんだと気づかせてくれたのは、確かに『Ballads』だったのだと思う。もちろんデレク・ベイリーみたいには弾けないので、僕は自分なりのやり方でやろうとは思っていたけれども。

——楽曲ではなく、完全にノイズ/インプロヴィゼーションだけでソロ・ギターのアルバムを作る、ということは選択肢にありましたか?

大友:その時は選択肢にはなかったです。ノイズや即興だけで録音するのは、もう今更やらなくていいんじゃないかとさえ思っていて。ライヴでは散々やってたけど。で、実はCD-Rで『Guitar Solo Live 1』(1999年)というギター即興の作品を出したことはあるんですよ。だけどあまりおもしろいと思わなくて、即興はその場で消えてしまえばいいやと考えていた。アルバムとしてリリースするなら、ある程度曲の形になっているものを残したかった。当時はその方が新鮮だったんだと思う。

ソロの即興って実は難しくて、本当の意味での即興ではないんですよね。デュオやトリオの場合はその場で考えていることが多いんだけど、ソロだと、純粋にその場で考えているのか自分に問いかけると、そうでもないなと思っていて。それまでのいろいろな経験に強く縛られていて、そこから抜け出すのはとても大変。それにソロ・インプロヴィゼーションのアルバムって、デレク・ベイリーをはじめ先達の素晴らしい作品がたくさんある。オレはああいうふうに即興を切り拓いてきたタイプではない。だからあの時点では、即興やノイズだけでソロ・ギターのアルバムを作ろうという気持ちにはなりませんでした。

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