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「10年後はないかもしれない」大友良英、60代半ばで到達したギター&ターンテーブルの自在境 -前編- (2/3)
インタビュー:細田成嗣 (2023.12.26 TOKION 掲載)

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Lonely Woman」は高柳昌行が遺した「宿題」

——仮に即興と楽曲を両端に置くとするなら、大友さんのギター演奏において中間にあるものが「Lonely Woman」のような気がするんです。もともとはオーネット・コールマンの曲ですが、大友さんが完全即興でライヴをやる際も、自然と「Lonely Woman」が浮かび上がってくる時があるじゃないですか。

大友:ある。そう、ギターで即興演奏をやる時に何も参考にしていないかというと、本当はそうではなくて、やっぱり高柳さんのソロ・ギター・アルバム『ロンリー・ウーマン』(1982年)はとても大きかった。影響を受けちゃうからギターを再び手にした時は、聴かないようにしていたけれど。自分の記憶の奥底に秘めておこうと思っていたけど、どうしても頭をよぎってしまう。だったら毎回「Lonely Woman」を演奏してもいいや、と決めたのが2000年代だった。どういう形で演奏してもいいやって。即興演奏の中で突然出てきてもいいし、最初から「Lonely Woman」を弾いて崩していきつつリズムを出すのでもいいし、とにかく演奏しようと決めてた。それはオーネット・コールマンというより、やっぱり高柳さんの存在が、ギターを弾く時に僕にとってあまりにも大きかったということなんだと思う。

もちろんオーネット・コールマンも大きいですよ。彼の作品の中でも最初にハーモロディック的になったのが「Lonely Woman」だと僕は思っているので。あくまでも自分なりの解釈ね。だからそれはどこかでジャズ史と繋がっていたいという思いもあるのかもしれない。とはいえ、オーネットの曲は「Lonely Woman」以外はほぼやっていないから、やっぱり、あくまでも高柳さんを通したジャズ史をどこかで意識してしまっているんですよね。

——高柳さんにとっても「Lonely Woman」はやはり特別な曲だったのでしょうか?

大友:そこは謎なんですよね。知る限り高柳さんはソロでしか「Lonely Woman」を演奏していなくて。ライヴもほぼ全部観ていたけど、アングリー・ウェーヴスのようなグループだと「Lonely Woman」はやらない。ソロの時だけなんですよ。しかも当時の高柳さんは特にオーネット・コールマンについて何も言っていなくて、いつも聞いていたのはアルバート・アイラーの話。なのになぜ「Lonely Woman」だったのか……正直、よくわからない。

ただ、高柳さんが最後に「Lonely Woman」を演奏したのは、おそらく1984年。副島輝人さんと一緒に北海道をツアーしたんだけど、最初のコンサートで「Lonely Woman」を演奏して、他は全てノイズだった。それ以降はもう「Lonely Woman」はやらなくなって、東京に戻ってからも演奏していなかったんです。ガーッてノイズをひたすら出す「アクション・ダイレクト」に移行していったからね。それを傍で観ながら、オレとしては「アクション・ダイレクトの中で『Lonely Woman』を弾いてもいいんじゃないか」とずっと思っていて、高柳さんにも言ったんだけど、その度に「大友、お前わかってない」と言われて。「あれは一緒にできない。違うもんなんだ」って。

そうだよなと思いつつ、でも一緒にやりたくなる欲望にも駆られる。だから僕は「Lonely Woman」を、ノイズの中から突然出てきたり、あのテーマから始まるけど全然違うところに行ったり、そういうものとして演奏してきたのだと思う。「Lonely Woman」は僕にとっては高柳さんが遺した「宿題」みたいなものなんです。高柳さん自身も次のアクション・ダイレクトに行ってしまって、ただ楽曲だけがポンと残されたというか。


大友良英のギター・スタイルの確立プロセス

——Guitar Solo』のリリースからすでに20年近く経過していて、ギタリストとしての大友さんの活動は、実はそれ以降の方が長いですよね。あえてこういう言い方をするなら、大友さんには独自のギター・スタイルがあるとも思うんです。ご自身としては、いつ頃からそうしたスタイルが確立してきたと思いますか?

大友:2000年代を通じてかなあ。部分的には20代前半からすでにやっていたけれど。2000年代に特にこだわっていたことの1つは、フィードバックをどう扱うかでした。高柳さんもフィードバックは扱っていたけど、「Lonely Woman」の中ではほぼ出てこないんですよね。だからその中にフィードバックを入れたいというか、それを骨格にできないかと思っていて。高柳さんには「フィード・バック」という曲の録音もあって、富樫雅彦さん達と一緒にやった1969年のアルバム『ウィ・ナウ・クリエイト』に収録されている演奏。あれと「Lonely Woman」を混ぜたような、どちらにでも行けるようなものはできないかな、と。

それでフィードバックを飼い慣らしながら、コントロールできる部分/できない部分と付き合いつつ、メロディーや和声にいつでも移行できる、みたいなギター・アプローチを身につけていきました。それは2000年代に入ってから10年ぐらいかけて取り組んでいたかな。それまではフィードバックと言ってもいわゆるノイズ・ギターだったんですよ。ギャーってやるだけ。良くも悪くもだけど、それはコントロールできるものではなかった。そういうアンコントローラブルなノイズ・ギターから、ある程度コントロールしつつ、でもやっぱりコントロールできない部分も残しつつ演奏を進める、みたいな方向に向かっていきました。

——ギターのフィードバックという意味では、大友さんはしばしばジミ・ヘンドリックスからの影響も語られています。

大友:ジミヘンの大部分の演奏は、あくまでもブルースの中でフィードバックを使っているんだけど、1969年のウッドストックでアメリカ国歌を演奏したライヴは、途中から完全にフィードバックになる。あれは今聴いてもカッコいいし、やっぱりすごい。だから、高柳さんの教室に入った最初の頃から、ああいうふうにフリージャズをやりたいとは思ってた。全く似ていないんだけどね、でもそこはジミヘンからの影響だとオレは思ってる。

——フリー系のギタリストと言えば、例えばアッティラ・ゾラーやラリー・コリエル、もしくはソニー・シャーロック等々もいますが、ジミヘンのようにフリージャズをやりたかった、と。

大友:もちろん、ソニー・シャーロックもラリー・コリエルもフィードバックを使うし、ものすごい好きだけど、メロディーラインとフィードバックを行き来するコントロールの仕方としては、オレは圧倒的にジミヘンのやり方が好き。もう20代前半の頃からそうでした。でもそれが実現できたのは2000年代も後半になってからかな。やっぱりライヴの現場でギターを飼い慣らしながら自分のものを作っていったんだと思う。


ドラムに対してギターがどうサウンドするか

——2000年代に大友さんのギター・スタイルを確立するにあたって、特に影響を受けたセッション相手はいらっしゃいましたか?

大友:やっぱり芳垣安洋かな。芳垣のドラムとやった時に、どうサウンドするかということが大きかった。セッションでもバンドでもそうですね。あのドラムに対してギターがどうしたら納得いく感じで鳴るか。特に2000年代は芳垣と一緒に作っていた感じがします。山下洋輔さんが森山威男さんとあのスタイルを作ったように。リズムとかアクセントの作り方とかも含めて、芳垣のドラムに対応できるように自分のギター・スタイルを作ったような気がする。

芳垣に限らず、いろんなドラマーともやるわけで、それぞれで合わせ方があるんだけど、どちらにせよさまざまなドラマーと合わせながら自分の演奏を作っていたんだと思います。まずはそこから始まりました。その上で、サックスやピアノは少し後になってから対応できるようになっていきました。フリー・インプロヴィゼーションを考えるにあたっても、ジャズを考えるにあたっても、ポップスでもそうだけど、まずはドラムとその上でベースに対してどうサウンドするかを考える癖がある気がします。その次がサックスかな。フィードバック音とサックスをどうサウンドさせるかは、すごくおもしろいテーマだった。

ハーモニーとかコードのことを一切考えずにドラムとやる場合は、音色とリズムだけで押し切れるというのもある。そこにベースが入っても、単音同士であれば、ハーモニーはどうにでも可変できるし。なので、ピアノとやる時はどうしても最初のうちはハーモニーを気にしすぎて、できないと思ってたんです。でも、ここ10年ぐらいは変わってきて、むしろおもしろくなっていった。それこそ坂本龍一さんとやり出したのも大きかった。ドラムとやる時とはまた別のアプローチができるんですよね。ピアノのハーモニーに対して、ギターの弦で出す音色なり音程なり、ハーモニーがどう溶けるかというようなアプローチ。それが 2010年代初頭あたりからできるようになりました。今ではピアノとやるのはすごく楽しくて、坂本さんはもちろん、藤井郷子さんや佐藤允彦さんとセッションするのもとてもおもしろいです。

——201111日に放送されたラジオで坂本さんと初めて一緒にデュオ・セッションをされましたが、その時も「Lonely Woman」を演奏していました。

大友:そうそう。あれ、実は坂本さんから「『Lonely Woman』をモチーフにしましょう」と提案されたんですよ。で、「Lonely Woman」はキーがDマイナーなんだけど、あの時はDマイナーに対して何の音を出しているのか探りながら演奏してた。そういうアプローチをしてもおもしろいものができるという気づきが坂本さんとのセッションから得られて、それまではハーモニー的なアプローチがあまりできないと思ってたからね。だから、最初はやっぱりドラムとの関係で、音色とスピード、あとグルーヴだけで探っていたけど、坂本さんとのデュオあたりからハーモニーも探るとおもしろいなと思えるようになっていきました。

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