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インタビュー「3.11後の大友良英——そうじゃないところを示す音楽への試み」【1/7】

聞き手・構成:伊藤順之介
出典:立教大学比較文明学会紀要『境界を超えて――比較文明学の現在』23(2023)

本稿は、2021年度に比較文明学専攻へ提出した修士論文「3.11後の大友良英──無力な音楽の政治学」に収録された、大友良英氏へのインタビュー全文である。ギターやターンテーブルによる即興演奏、また映画やドラマの劇伴でも知られる大友は、2011年以降、福島県においてさまざまな文化活動にも助力してきた。同じくミュージシャンの遠藤ミチロウ、詩人の和合亮一と共に立ち上げたプロジェクトFUKUSHIMA!をはじめ、福島わらじまつりの改革や富岡小・中学校での校歌制作はその一例である。修士論文では大友の音楽実践を「復興支援ソング」や反原発デモにおける音楽に対するオルタナティヴと位置づけ分析した。一部改稿を施して掲載する。


音楽の力はどっちにでも作用する

─まず、音楽の力という言葉について伺います。東日本大震災の直後、テレビの歌番組などを通して、音楽の力や歌の力という言葉が頻繁に使われました。大友さんが、音楽の力には懸念が必要だ、むしろ音楽は無力であっていいと発言されているのを、震災の後のインタビューなどで読みましたが、これには何かきっかけがあったのでしょうか。
大友 直接的になんか事件があったとかじゃないですよ。ただ、もう今から20年くらい前だと思うんですけども、音楽家は無力であるべきだって文章を、『STUDIO VOICE』にたぶん書いたのかな(*1)。
─2001年の文章ですね。「無力であることのラディカルさを聴き取ること」、という。
大友 そうそう。なんでそう書いたかといったら音楽に力があるからですよ。音楽の力ってまるで良いことのようにみんな言うけども、軍歌だって音楽だからね。だから音楽の力はどっちにでも作用する、というのをもうその時点で強く思ってたんだと思う。たぶんそういうことに最初に気づいたのは学生の頃で、明治大学で民族音楽のゼミに入ってたのね。学校には全然行ってなかったけど。その民族音楽のゼミも正式に取ってたわけでもなんでもなくて、全然別の学部の一般教養に民族音楽のゼミがあるっていうので、民族音楽の江波戸昭先生のゼミに2年くらい通ったんです。単位も何も取ってないんだけどそこで論文も書いて。そのとき書いた論文は「太平洋戦争下の音楽統制について」っていう、なんでそんなの選んだのか覚えてないけど。当時それについての本がほとんどなかったので自分でそれなりに調べて。音楽がどうやって統制されていったのかっていうのをなぜか調べてたんです。そのときにきっとそういう問題意識は既に持ってたような気がする。要するに、音楽がどういうふうに社会に作用するんだろうってことを当時若いなりにいろいろ考えてたんじゃないかな。で、これは良いことだけじゃないなと思ってて、だから音楽家が力を求めようとすることは危険だなって思っていた。でも何が理由かわかんないですね。直接的な理由があったわけじゃない、とは思う。まあいろんなことがあったんだとは思うんだけどね。もうひとつは、20代の頃、僕は高柳昌行っていうギタリストの門下にいて。その先生について習っていて。まあすごい影響を受けました。憧れの人だったんですけども。高柳さんはやっぱりすごい強い力を持ってた人で。音楽的にも。それに惹かれて僕はそこに入ったんだけど、それに対する反発もあったのかもしれない。今考えるとね。背景にはね。でも、正直よく理由はわかんないんです。ただ、音楽は良いことだけじゃなくやばいもんだって思うようにある時期からなってました。だから音楽家の力とか音楽の力って言われるたびに、それってだいたい言う人はまるで音楽に良い力があるようなことで言ってくるから、ひねくれてたのかもしれないけどね。それはどうなのって。それで無力であるべきだってだんだん言うようになっていったんだと思う。だから震災のときに音楽の力を使うとかみんなすごく安易に言ってるのに対して、もう本当にそういうのに絶対与すまいって思ってましたよ。

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