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インタビュー「3.11後の大友良英——そうじゃないところを示す音楽への試み」【2/7】

聞き手・構成:伊藤順之介
出典:立教大学比較文明学会紀要『境界を超えて――比較文明学の現在』23(2023)

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力のない音楽ってなんなんだろう

─大友さんは、音遊びの会(*2)に参加されてますよね。それから西成子どもオーケストラ(*3)も。
大友 やってますね。西成子どもは震災の後だけど、音遊びの会は震災前の、2005年からかな。
─音遊びの会は音楽療法士の方から持ちかけてもらっていると思うのですが。
大友 正確に言うと、音楽療法家を目指している大学院生から声がかかった。その大学院の院生たちが何人かでやってたのに誘われてなんとなく参加しちゃったのがきっかけだったけどね。
─そのときは、確か『学校で教えてくれない音楽4』に書いてあったと思うんですけど、最初は反発した、と。
大友 したした。それは学生たちじゃなくてそこに来てた音楽療法家の人が言ってたことに対して、強く反発しましたね。それはあの本に書いてあるとおりなんだけども、要は子どもたちと音楽をやると言っておきながら子どもたちを自由に遊ばせておいて、親とか見学に来てた僕らに「こういう遊びの音も音楽です」と言ったことに対して強くカチンときたというか。いや、オレたちのワークショップじゃないでしょ、子どもたちと音楽やんなきゃだめでしょ、素材にしてんじゃないよっていう。喧嘩になっちゃったかな。結構強い喧嘩だった。
─それに関して、音遊びの会やデレク・ベイリーの演奏が、さっき言ったみたいな音楽の力とは別のベクトルを持っていると答えているインタビュー5がありますが、具体的にはどういうことでしょうか。
大友 それは細田(成嗣)さんの『AA』のインタビューでだよね。 でもあれだよ、音楽の力がないから音遊びの会と一緒にやったとか、 デレク・ベイリーが好きだってことではないよ。あとで考えるとなんだけどね。音楽の力っていうのを考えるときに、じゃあ力のない音楽とか無力な音楽ってなんなんだろうとか考えるじゃないですか、当然。自分はどういう音楽やったらいいんだろう、とか。そういうときに、およそそういうのと対照的にあるように見えたのが、デレク・ベイリーとか音遊びの会だったりしたかな。元々そういうのが好きだったので、ああ、だから好きなのかなと思ったりとかして。 デレク・ベイリーと音遊びの会は結構共通してる感じがするんです。 ほかにも、今から¬20年くらい前にオフサイトっていう代々木にあった小さいギャラリーで、この呼び方が妥当かどうかわかんないけど「音響派」って呼ばれてる人たちが、すごい弱音で、杉本拓さんとかSachiko Mさんとかがやってた実験を見てたときに、すごい 好きだったんだけど、それが。良いなと思って。でもまあおよそ力のない音楽だなとも思って。 一方の、ちょうどこのインタビューでいえばアルバート・アイラーの音楽とかは力あると思うんですよね。何か、ある力みたいなのが。もちろん、それが魅力になってるんだけども、そうじゃないもの、多くの人たちがわーって感動するようなもんじゃないものっていうのに強く惹かれてたかなあ。それは今も変わんないけど。だから、音楽の種類が似てるとかそういうことではなくて、デレク・ベイリーも音遊びの会も、オフサイトでやられた音楽も、多くの人たちがわーって熱狂するようなものでは決してない。まあアルバート・アイラーも多くの人が熱狂する音楽じゃないけどね。例えば何、多くの人が熱狂する音楽って。マイケル・ジャクソンでもいいや、 ビートルズでもいいや。そういう音楽も好きですよ、もちろん。ジョン・レノンの「イマジン」でもいいよ。あそこで歌われてることはそりゃそうだって思うんだけど。ただね、そういうのじゃないもの、言葉の上の共感をもとに聴くんじゃないような音楽、っていうのに惹かれてたかなあ。

みんなで一緒に音楽を作りたい

─その、多くの人が熱狂するということについてですが、オーケストラFUKUSHIMA!の映像6を観ると、かなり熱狂した状態にはなってますよね。それはどういうことなのかな、と思っているのですが。
大友 ね、矛盾するよね。なんでだろね。ただ、オーケストラ FUKUSHIMA!をやったときにデレク・ベイリーのような音楽をやろうと思ったわけでもないし、もちろん、音遊びの会の音楽をやろうと思ったわけじゃないけど、あの中に音遊びの会のメンバー何人も入ってるんだよね。オーケスラFUKUSHIMA!の中に来てくれたんだけど。オーケストラFUKUSHIMA!をやろうと思ったときは、音楽の力とかそういうことよりも、プロフェッショナルとか、アマチュアとか関係なくとにかく一緒に音楽を作るっていうのをあそこでやりたかったのね。それはなぜかというと、あの時期福島ではコンサートバブルだったんです。もう、ものすごくいっぱいコンサートがあった。コンサート会場でのコンサートっていうよりも、 被災地のいろんな場所で、東京から音楽家が来て演奏したりとか、 人ってそんな毎日音楽聴きたいかなっていうくらいいっぱいコンサートがあって。それは悪いとは全く思わないけども。でも、東京からミュージシャンが来ます、福島の被災地の人はそれを見ますっていうだけの構図がやっぱりなんか嫌で。こっちでも作れないのかな、 福島の人たちと、っていう。で、できれば福島の人とか、そうじゃない人っていう線も引きたくなかったので、誰でもいいので集まってきてみんなで一緒に音楽作りたいなっていう。それが素朴な動機で、そのときに音楽の力のあるとかないとかっていうのは考えてなかったですね。結果的にそういう力を持つ音楽のような感じになったのかもしれない。でも力持つかな、あんなもの。本当に持ったらオリンピックの開会式とかであれをやりたいとかいう話になっていったんだと思うけど。そんなふうならないでしょ、どうせ。
─そうなってないですからね。
大友 なってない。コロナじゃなかったとしてもならないと思う。 みんなあんなものを求めないと思う。即興的に、秩序があるんだかないんだかわかんなくて、子どももいればそうじゃない人もいっぱい集まってわーってやるような音楽は、決してオリンピックみたいな場じゃやらないでしょ。ぎりぎりパラリンピックでは可能性があったのかもしれないけども。だから、そういうほうにはいかないと自分では思ってるんだけど。とはいえ、力のない音楽とか言ってお きながら、結構力ある音楽の現場を作ったのは事実だと思うよ。
─大友さんにとって、力を持つということは、例えば国民的なスターみたいになるっていうこととは、違うのでしょうか。
大友 いやいや、自分がスターになるとかそういうのはどうでもいい。一瞬持ち上げられた時期があったけども。あまちゃんの流行ったときに。でもスターっていうより曲がヒットしただけだから。 オレにとって力を持つっていうのは、自分がそうなるとかどうこうじゃないかな。音楽自体がどれだけの人を動かすかっていうことだと思う。だからさっきの軍歌とかそういうのと一緒だよね。例えばものすごく大量の人がぐっと動くとして、良い方向かどうかなんてわかんないじゃない。音楽家がそんな責任持てるとはとても思えなくて。そういうものが僕は怖いと思ってるってことです。

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