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インタビュー「3.11後の大友良英——そうじゃないところを示す音楽への試み」【3/7】

聞き手・構成:伊藤順之介
出典:立教大学比較文明学会紀要『境界を超えて――比較文明学の現在』23(2023)

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音頭はね、ゆるくて好きなんですよ

─音頭もたくさん制作されていると思うんですけど、音頭も同じく熱狂するものですよね。
大友 音頭もそうですね。オーケストラFUKUSHIMA!からの延長上にきっとあるんだと思うんだよね。あの流れの中でやってる から。たださ、音頭って力を持たないと僕は思ってるんだけど。あれで持つのかなあ。盆踊りで民衆蜂起をして国会議事堂に殴り込みに行く、といったそういう力は持たないと思うんだよね。残念ながら。音楽の力ってことだけで見ちゃうとデレク・ベイリーとか音遊びの会で言ってることと音頭との間にすごい矛盾があるかもしれないけど、ひとつの方向だけに何かがなるってことが、僕とても嫌なのね。デレク・ベイリーみたいな音楽が良いってなったらもうそればっかりやるみたいなのは。個人がそうなるのはいいけど。だけど 例えば、教える際にみんなデレク・ベイリーみたいな音楽を目指しなさい、これが将来の音楽です、みたいな考え方が本当に嫌なんです。極端な言い方だけど。あるひとつの特定のものが強い力を持って他を席巻していくみたいのが嫌なんだと思う。どうあれ。良いものであれ嫌なものであれ。力のないものなんて本当はないんだよ。デレク・ベイリーだって力ないとかいって、すごい力ですよ。世界中のミュージシャンにあ んだけ影響与えたんだから。だけど、重要なのは、すごい今っぽくて嫌な言い方だけど、いろんなものが存在してるっていうことを否 定しないようなあり方、じゃないと僕は嫌で。だからなにかが一色になってくっていうのは本当に嫌で。そんなのもあって、音頭はね、 ゆるくて好きなんですよ。元々あんまり好きじゃなかったんだけど。 音頭自体、なんかダセえとか思って。
─音頭を作り始めたのは?
大友 ¬ 2013年。あまちゃんの頃だね。もう(遠藤)ミチロウさん が音頭やりたいやりたいって言うからしょうがないから作ったんだけど、やってみたら面白くて。これオレが大好きなタイプの音楽じゃんって、だんだん。それは現場を見てね。音楽の構造そのものっていうよりは。 よくいろんなとこに書いてるけど、音頭をやってるときって僕ら 演奏するじゃない、生で。で、やぐらで歌うたってる人がいて、ステージで演奏してる人がいて、みんな踊る。通常だとオーディエンスはお客さんって考えると、お客さんは、演奏者なり歌手を見るん だけど、音頭をやってるときは誰もそんなの見てないの。100パー見てないかな。みんなまちまちの方向を見て踊ってて。まあもし何か見てるとしたら、踊りがあんまり踊れない人は踊りの上手な人を見てんだよね。それでみんなまちまち勝手に盛り上がってて。で、音頭は回るから、中心があったとして真ん中なんだけど、真ん中の中心、だーれも見てない。それで終わると拍手するんだけど、天に向かって拍手するんだよね。本当に自然に。これ見たときに、力の あり方としては僕はすごく理想的って思って。演奏してるオレのことなんか誰も見てやしない。だから音楽そのもののスタイルとか構造よりも、その現場を見たときに、あ、これだな、こういうの本当にやりたいと思ってたもののひとつだなって思ったのもあって、2013¬ 年からは本当に音頭にハマりましたね。今もハマってるけど。
─音頭には歌がついていることがありますよね。大友さんは細田さんのインタビューの中で、歌を作るっていうことにためらいがある、理由がなく歌を作ることができない、っていうことを言ってい ましたけど、音頭の場合は……。
大友 音頭は明確に理由があるからね。歌を作る理由はいろいろあるよ。依頼されたとか、夏祭りのために音頭を作るとか。あるいは、このテレビのテーマ曲のために作るとか。今は学校から依頼されて校歌を作るとかね。そういう理由がないとオレはできない。ほぼ依頼だね。自分の中に音楽はあるけど歌を作るって理由は全くないので。さっき言ってたのと一緒だよ。歌でなんかしようなんて理由がオレには全くないけど依頼されたらできる。この人何を求めてるのかな、この状況にどういうのが必要かなって。「ええじゃないか音頭」はみんなから歌詞を集めたんだけど、実質あの歌詞を構成したのは僕で。歌う理由はないとか言っておきながらだけど、あれははっきりと明確に、風刺歌ですからね。ものすごく込めてます。初めてじゃないかな、そう思ったのは。でもあんなものが力を持つと思ってないからできるんだと思う。
─音頭という音楽のあり方というか、現場のあり方とのバランスで成り立っている、と。
大友 そうだね。ニコニコ踊りながらさ、ええじゃないかええじゃないかっていう超無責任な感じ。あれだったらアリだけど、そういう感じじゃなくて、もっと戦闘的になるような歌だったらオレは作れないと思う。作れないし作りたくない。
─ ¬ 2003年くらいからサウンドデモが日本でも起こるようになって、のちにデモの現場でコール&レスポンスをする中で、ラップ調のコールが出てきたりしたと思うんですけど、そういうサウンドデモの音楽のあり方については、どのように考えているのでしょうか。
大友 サウンドデモをやってる人たちの考え方は全然嫌いじゃないんだけど、だからそっちの人たちにいつもこれ言うと嫌われるなって思ってるんだけど、右翼と何が違うのって思っちゃうんだよね。 右翼の人たちもサウンドデモみたいなのとっくの昔からやってるじゃない。軍歌みたいなおっかない音楽かけて。本当に嫌でオレあれ。すごい嫌い。威圧感があって、怖くて。サウンドデモが出てきたときにみんな大喜びしてたけどオレは右翼の宣伝カーを思い出して好きになれなかった。内容は違うよ。歌ってる内容も音楽の種類も違うかもしれないけど……。わかんない。オレはあのやり方は好きじゃない。盆踊りならいいと思う。

高柳さんじゃないもの

─話が前後しますが、音遊びの会やオーケストラFUKUSHIMA! といった集団での即興演奏は、プロとアマチュアの人が混在する形でやるのが特徴だと思うんですけれども、それは何か参照元というか、誰の影響か、とかあるんですか。
大友 いや、これね、そうそう、なんかあるかなって考えたんだけど、ないかも。もちろん、アマチュアの人がいっぱい入るって意味じゃ、イギリスのスクラッチ・オーケストラとかコーネリアス・ カーデューの試みとかいっぱいあるけど、ほぼ参照してないかな。
─この前、武満徹さんの音楽をカバーするのをテレビで観ましたが7、例えば武満さんの考え方から受け継いできたものがあったのでしょうか。わたしの予想ですけど、高柳さんではないんじゃないかな、と思っていたので。
大友 でも武満さんがそういうこと言ってたのかどうか、オレの記憶の中ではないんだよね、あんまり。で、僕、武満さんの考え方もやってることもすごい好きだけど、合唱団とかが歌ってるのは、あの番組でもちょっと言っちゃったけど、あんまり好きじゃない。そもそも合唱がそんな好きじゃないせいもあるんだけど。地声でなんで歌わないんだろうって思うんですよ。合唱団もあっていいけど、基本地声で歌うことなんじゃないかな、と思っていて。だから武満 さんでもないね、参照例はね。 むしろ、高柳さんを参照したんだと思うよ。高柳さんじゃないもの、っていう。高柳さんは強く否定してたから、素人の音楽っていうものを。僕は高柳さんのことがもう大好きすぎちゃって、その反発がある時期の原動力にもなってたから。高柳さんへの反発がなかったら一般の人とやる音楽ということを思いつかなかったのかもしれない。 けど、ただ、参照例っていうよりも、考えれば考えるほどプロだ けが作る音楽じゃないほうがいいっていう結論にしかいかないんですよ。でも自分の体はプロだけでやってたほうが気持ちいいって思ってたんだよ。上手い人たちとバキバキやったほうがそりゃあ気持ちよくて。そこに下手くそなやつが入ってくるのなんかやだって思ってた。正直言うと。よくたとえるけど、オリンピックのアスリートみたいな連中同士で走ったほうが面白くて、そこに突然遅い人が入ってきたらなんだかその人に合わせなきゃいけなくて嫌じゃん、くらい思ってた。エリート主義みたいな感じで、昔ね。だけど、アスリートだけでもうガンガンすごい勢いでやる面白さも十分今でも面白いと思うけど、その一方で、それだけだとダメだって、やっぱり考えれば考えるほどなってくんですよ。 でも最初はね、足がかりがなくて一般の人たちとやるっていうのがどういうことかあんまりよくわかってなかった。機会もなかったし。それを本格的に味あわせてくれたのが音遊びの会だったような気がする。一般ナメちゃいかんな、すげえな、っていう。そのあたりから徐々に考え方が変わってったんじゃないかなあ。でもその前からその必要性は感じていた。それは間違いないと思う。でもなんでそうなったかはわからない。高柳さんのことかもしれない。

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