インタビュー「3.11後の大友良英——そうじゃないところを示す音楽への試み」【5/7】
聞き手・構成:伊藤順之介
出典:立教大学比較文明学会紀要『境界を超えて――比較文明学の現在』23(2023)
音楽は社会より先に反映する
─そういう、誰でも参加できる音楽のあり方っていうのは、大友さんの考える社会のあり方とか、あるいは政治参加の仕方とかと重なっているのでしょうか。
大友 政治参加とか社会のあり方って、震災後、確かに考えたんです。自分もその現場に行くべきなのかって一瞬迷ったくらい考えたんだけど。音楽の世界だったら実現できるけど現実の世界でやるのは結構難しいなって思った。それは、音楽の世界のほうが遥かに要素が少なくて単純だから。要するに、そこにいる人たちだけでやれるから。でも政治とか現実の世界はすごい要素が多いし人も多いので、そんな簡単に音楽でやってることを現実のところに応用することはできないなっていうのはすぐにわかったし、それを百も承知の上でなんだけど。音楽っていくら多くたって何百人くらいじゃない。普通は十数人とか数人のコミュニティの話だから。だけどその中でなんらかの理想的な方法を編み出してくことが、もっと大きな、複雑な集団に将来反映したらいいなっていう思いはある。そんな簡単じゃない、とはいえね。 なんでそんなこと考えるかっていうと、かつて、これは誰が書いてたか全く覚えてない、ジャック・アタリなのかもしれない、副島輝人さんなのかもしれないけど、前衛的な音楽のあり方っていうのが何年かすると社会の中に反映してくるみたいなことを書いてる。 それは例えばだけど、もう60年代からヨーロッパのミュージシャンはいろんな国の国境を越えてグループ組みだしてて。グローブ・ ユニティってグループがあったりとか、いろいろあったのね。そういう動きがあって、自分たちでレコード作って売り出したりとかっていう。それがのちのち、イコールではないけども社会のあり方もそうなってく。だんだん国境が実際なくなって、ユーロ圏みたいに なっていって。その方向が良いのかどうかわかんないけど、僕は今考えると、音楽が先導したと思ってるんじゃなくて、音楽のほうが人数が少ないし個人の動きが反映しやすいので、社会に先行してそういうふうな人が動く方向にいくんじゃないかって今では思ってる。だからみんな音楽に影響受けてそのうちそうなってったんじゃなくて、音楽の 中でのほうがそういうことが起こりやすい。音楽ってやっぱり共同体で作ってくものだから。そこが文学とか絵画とは圧倒的に違うとこで。ある共同体の仕組みが音楽に反映していく。さっき言ったよ うに、グリークラブもそうだしオーケストラもそうだけど、あれは本当にもしかしたらファシズムとかヨーロッパの中央集権みたいなのが、そういうものよりも先に反映して生まれたものかもしれないって思ってる。そう考えると、僕らのやってることが社会に反映するっていうより、僕らが先にできちゃったことをのちのち社会もやってくってだけだと思うんだけど。だとすると、音楽の中で先行してやらない手はないというか。民主的って言い方が今や良いのかどうかもわかんないけど、フェアに人が付き合っていく考え方。 すごく簡単に言えば、男と女がフェアだっていうのだってさ、今やっと言われ出したけど、考えてみたら音楽の世界だって全くフェアじゃない時代がずっとあって。西洋のオーケストラは西洋人の白人の男しかいないって時代がずっとあったのに、今やそうじゃなく なってきてるでしょ。でもそれには何十年もかかったわけで。同じようにいろんな音楽の世界でも、オーケストラは比較的身動きがつきにくい世界だと思うけども、僕らがやってるような音楽の世界だと割と簡単にそういうことが……。いやいや、男女ちゃんとフェアにしましょうよってことがほかの社会よりはやりやすいし変化しやすい。まあ僕らの頃はそんなこと既に言わなくてもそういうのに近い状態になってたけども。だからもしかしたらもうオレが死んじゃった後かもしれないけども、音遊びの会がやってるようなことが社会の中で普通になってたらすごく良いなとは思ってる。そのモデルケースにはなってくんじゃない、実際に、と思ってる。 ただね、震災後に、さっき言ったように、政治のこといろいろ考えたりしたけど、僕は政治にそんなに深い知識があるわけでもないので、自分の考えてることが本当に良いのかどうかっていう自信がない。正直言うと。だから、よくみんな声高に言えるなと思うけど、 自信を持ってこっちの方向だなんて自分は言えない。ただこっちのほうが良いかもしれないなっていうことを試してる感じかな。
言葉の力はもっと怖い
─ところで、オーケストラって言い方をするときと、アンサンブルズと、それからスペシャルビッグバンドと、大友さんの付けるグループ名にはいろいろ使い分けがあると思うんですが、あれはどうやって決めているんですか。
大友 ほぼ思いつきですね。だけどアンサンブルズは明確になんかあって。アンサンブルって本来フランス語だから“s”つけるのおかしいんだよね。アンサンブルズって間違った言葉なんだけど、でも良いかなと思って。複数のアンサンブルがあるっていう考え方をあえて出そうかなと思って。そもそもアンサンブルって考え方が 好きなんです。なんとなく複数の人間が一緒にやってくみたいなイメージが僕の中にはあるので。それに対してオーケストラって、さっき言ったように、ややヨーロッパ中央集権的なにおいが残ってる言葉なんだけど、とはいえカッコ良いなとも思うんだよね。使わない手はないなって。それを解放してあげるというかね。それに対してビッグバンドって言葉は、たぶんアメリカで生まれた言葉なので、 なんかね、中小企業みたいな。腕っこきの職人たちがいっぱいいて、どこの工場にも作れない部品を作ってるみたいな感じがして。ビッ グバンドってすごい好きな言葉なんですよね。デューク・エリントンとかカウント・ベイシーとかの、ああいう感じ。だから自分のバンドにビッグバンドってつけたりとか。でもオーケストラは……オ ーケストラじゃないのにオーケストラってつけたりしてるわけだから。オーケストラFUKUSHIMA!とか言っちゃって。それは、やっぱりただ単になんかグループ名つけるよりわかりやすいからじゃない? いっぱいの人数で演奏してるってことを人に示すために。でもこんなやり方があるんだってことを見せるために、ビッグバンド FUKUSHIMA!でもなくアンサンブルFUKUSHIMA!でもなく、 やっぱりあれはオーケストラFUKUSHIMA!なんだと思うな。なのにモーツァルトとかベートーヴェンなんか一切やらない、譜面もないっていう。だからオーケストラって言葉を自由にしてあげてると思ってるんだけどね。
─あと、フェスティバルFUKUSHIMA!が、「世界同時多発」っていう言葉を使ったのも不思議だなって思って。
大友 そうそう。
─あえて使ってるんだろうなって思いました。
大友 あえてだよ。なんかね、ノイズ世代とかパンク世代ってそういうことついついするクセがね。人が嫌がる言葉をあえて使うっていう。
─あれは大友さんが?
大友 オレですね。ああいうことついつい言っちゃう。ミチロウさんはもっとストレートだよ。「原発なんかクソくらえ」って言ってみたりとか、「飯食わせろ」とか。オレのほうがそういう言葉使っちゃうね。でも、元々「同時多発」って言葉にはなんの意味もないじゃない。同時にいろんなことが起こるって意味でしかないのに、あの時期は9.11の影響があったのかな、意味があったから、なんかね。 言葉ってすごく意味が変わってくから、嫌だなって思ったら嫌じゃない方向に変えればいいくらいに思ってる。だけど、それこそ力を行使してるんだよね。 ─でも、言葉をひとつのイメージから開いていくっていうことなのかな、と思いました。 大友 震災のときにすごい思ったのは、言葉ってやっぱ重要なんですよね。ただ音楽だけやっててもあんまり伝わんないものが、たったひとつのワードを入れるだけで……。だから怖いって思う。やっぱり音楽の力なんかより言葉の力はもっと怖いですよ。本当に怖い。使い方を間違えると劇薬。だけど人間って言葉で動いてるわけだからね。多くの場合。
─フェスティバルFUKUSHIMA!では、和合さんとの共演もありましたよね。和合さんの言葉は、かなり強い言葉だと思うのですが。
大友 強いねえ。
─ああいったときに、大友さんはどのように演奏しているんですか。起こった現象を受けて次に進んでいくのが即興だと言っていま したが、ああいうときは、和合さんの持っている強い言葉に、あえて引っ張られないようにしてるのか、それともその言葉に自分の音をぶつけていくのか。
大友 和合さんのことは……これ、結構言うのに勇気いるな。和合さんは震災の最初期の段階で、僕はTwitterで、本当に福島を覗く窓口として和合さんの言葉を見ていて。あのとき藁にもすがるような気持ちの中で、和合さんのあの言葉はすごく僕にとっては大きかった。それは間違いないと思う。で、和合さんに実際会っていろいろ話をして。だけど、震災でもなかったらオレ、和合さんと一緒にやることはないってくらい、話せば話すほど考え方が違うなとも思ったんです。群読って言って、詩をみんなで朗読するときも、みんなで声を合わすっていうのを基本にしていて、バラバラにするパートもあるけど、基本的には言葉を、声を合わしてく。僕は、それは自分の中にはないなって思いました。ただ、震災の1年目くらいのときは自分と同じ考え方の人じゃなきゃいけないというふうには本当に思ってなかったから。考え方違うな、と思いつつ、でも和合さんもいるべきって思ってた。 だけどやっぱり、和合さんもオレもどっかで無理してたんだと思うんだよね。お互いの遠慮もありつつ。だから喧嘩とかしてないんだけども、やっぱりある時期を境にこれはもう一緒にやらないほうがいいって思ったんです。だから和合さんの震災後の活動は認めつ つ、一緒にやるのは今は難しいと思ってる。
─ただ、¬2011年、2012¬¬年のときは一緒にやる必要があった、と。
大友 必要って言い方はわからないけど、やってましたね。でもね、今年(¬¬2021年)も一緒じゃないけどおんなじ場で、和合さんもやるし、オレもやるし。それでいいと思ってるんです。どこかで同じ時に同じ問題に向かって涙を流した友人だとも思ってるんで。